J.C. Mol with microscope
J.C. Mol with microscope

日本占領下のオランダ 人映画監督

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J.C. Mol with microscope

J.C.モル

彼の名前は、ヤン・コーネリス・モル。人の目では見ることのできないミクロの世界を映像におさめたいと、撮影技術の開発に情熱を注いだ。そして、その情熱は彼を世界各国への旅に駆り立てた。

Still: J.C. Mol, Filmer, 22-05-1961, AVRO. Source: Collection Sound and Vision
家業は果樹園
ヤン・コーネリス・モルは1891年、オランダ北部にある小さな村、フェンハウゼンに生まれる。生家は果樹農家を営んでいた。 19才の時、家業の果樹菜園で働き始め、数年後には青果市場で競りの責任者を務めるまでになった。
Video: Aalsmeer, het bloemencentrum van Europa, 1931, Multifilm. Source: Collection Sound and Vision
顕微鏡

果樹栽培の仕事のかたわら、モルは趣味の写真と映像制作に情熱を注いでいた。「自然が織りなす、目には映ることのない美しい世界を撮影したい」その一心で顕微鏡映画撮影の方法を独自に研究し編み出していった。そして、その膨大な知識から、写真撮影の方法や機材の扱い方について、多くの書籍も残した。

Cover Fotografisch handboek
これは写真機材の扱い方を説明した著書の一つである。

Photo: Cover Fotografisch zakboek, 1935. Source: boekwinkeltjes
Studio Multifilm  Haarlem

1927年、モルはハーレムという街に制作会社ムルティ・フィルム社を立ち上げた。スタジオには最新鋭の機材を導入。自然科学から医療分野へと活躍の場を広げ、大学との共同研究にも取り掛かるなど事業を拡大。

Photo: studio Multifilm Haarlem, author unknown, publication date unknown. Source: Collection Eye
教育者として

技術を開発することに長けていたモル。それだけでなく、技術を人々と共有することにも熱心だった。

この教育映画では、モルは自ら出演し、フィルム撮影の手順を説明している。

Video: Hoe de geluidsfilm tot stand komt, 1936, Multifilm. Source: Collection Sound and Vision
結晶化

結晶化のプロセスを捉えた映像集。

顕微鏡でしか見ることのできなかった世界を映像におさめ、人々を驚かせた。

Video: Het wonder der bloemen,1930, Multifilm, source: Collection Sound and Vision
遊び心

モルはユーモアのセンスも持ち合わせていた。

この映像では、バナナを食べる少年を逆再生。

Video: Het wonder der bloemen,1930, Multifilm, source: Collection Sound and Vision
カラー撮影の先駆者

1930年代、ムルティ・フィルム社はオランダで唯一カラーでフィルム撮影ができる会社だった。

その技術力は、海外諸国からも高い評価を得ていく。

オランダの小さな街・ハーレムで制作されたモルの映画は、花の都パリでも上映され、多くの人々の目を楽しませた。

Video: Haarlem, 1925, Orion Profiliti. Source: Sound and Vision
Rotterdamse Lloyd

新しい国、新しい挑戦

1939年、モルは新たなプロジェクトに挑む。オランダの海運会社・ロッテルダムロイド社からの依頼で、オランダ領東インド(現在のインドネシア)をカラーフィルムで撮影しようというのだ。モルは妻と共に新天地へ向かった。

Top: J.C.Mol and his wife leaving the Netherlands, uit: De Tijd, 03-06-1939. Source: Delpher
Bottom: still from Vertrek M.S. Sibajak, 1935, maker unknown. Source: Collection Sound and Vision
ムルティフィルムバタビア社

オランダ領東インドの首都バタビア(現在のジャカルタ)に渡ったモルは、制作会社ムルティフィルムバタビア社を設立する。

これは、1941年王女の誕生日を祝う祝日のニュース映像。

その頃、オランダではドイツ軍による侵攻が始まっていった。モルはオランダ領東インドに留まることを余儀なくされる。

Video: Koninginnedag 1941 Batavia, 31-08-1941, Multifilm Batavia. Source: Collection Sound and Vision
日本による占領

世界を取り巻く状況は日々悪化していった。1942年3月、オランダ領東インドは日本軍に占領される。

モルは日本軍が設置した強制収容所に他のオランダ人と共に収容された。

Video: Aankomst van eerste minister Tojo op Java, 1943, Nippon Eiga Sha. Source: Collection Sound and Vision
Tokichi Ishimoto

日本人と働く

モルの制作会社は日本軍に接収され、そこに国営の映画制作会社、日本映画社が作られた。 制作部門を率いていたプロデューサーの石本統吉はモルに制作への協力を呼び掛けた。日本から派遣された多数の映画制作者たちは、モルの知識と技術に感銘を受けたという。

Image: Tokichi Ishimoto, 1936, Museum of Kyoto. Source: Women Film Pioneer Project.
Nippon Eiga Sha

プロパガンダ映画

日本映画社はインドネシアの人々に向けたプロパガンダ映画・ニュースを作っていた。戦況を知らせるニュース以外にも、日本語学習や新しい生活習慣を伝える教育映画が作られた。

Top: still Dai Toa News nr. 56, 1942, Nippon Eiga Sha. Source: Collection Sound and Vision.
Bottom: still Djwawa Baharoe (6), 1943, Djawa Eiga Kosha. Source: Sound and Vision.
モルが残した影響

この映画には、日本人画家の小野佐世男が登場。両手を使って蚊を描く。

蚊が媒介となるマラリア予防を呼びかける目的で作られた映画である。

マラリアは当時から命取りになる病気と恐れられていた。

制作陣は、小野佐世男の独特な絵の描き方と顕微鏡映像を組み合わせたユニークな演出方法でこの映画を完成させた。

Video: Pembasmian Malaria, 1940’s, Nippon Eiga Sha. Source: Collection Sound and Vision.
労働の喜び

現地の日本酒工場を紹介する映画も作られた。

Video: Djawa Hodo no.14, Berita film di Djawa, 1943, Nippon Eiga Sha. Source: Collection Sound and Vision
戦後

1945年8月、日本の降伏と共にインドネシアの占領も終わった。

モルは、インドネシアに残り、オランダ政府が率いた制作会社で働き始める。

映画制作の現場に再び監督として復帰したのである。

Image: photo J.C. Mol in the Dutch East Indies, date unknown, Multifilm. Source: Ariedejong.eu
成長する世界

モルの監督下で、「成長する世界」というニュース映画シリーズが作られた。

この週刊ニュースシリーズは、インドネシアの独立を求める声が強まる中でオランダが作ったプロパガンダ戦略の一環と言われている。

1947年からインドネシアが独立する1949年までの間に130本以上制作されたという。

Video: Wordende Wereld nr. 110, 1948, Multifilm Batavia. Source: Collection Sound and Vision
モルの技術、日本へ

日本人映画制作者たちは、モルから学んだ撮影技術を携さえて、日本に帰国した。

そして、日本で科学映画の制作に取り掛かる。これは1948年に作られた「生きているパン」という映画。パンができるまでの酵母の動きをミクロの視点でとらえた。

制作したのは、石本統吉と小林米作。

二人ともインドネシアで映画作りをしていた人物である。

Video: Living Bread, 1948, Nippon Eiga Shinsha. Source: YouTube, NPO Science Film Museum

1949年、モルはオランダへの帰国を果たす。晩年も映像制作の情熱は持ち続けるも現場からは徐々に離れていき、帰国から5年後の1954年、63才で生涯を終えた。彼が作り上げた撮影技術は今も科学映画史に刻まれ、功績は世界で讃えられている。 Check 'Bekijk bronnenlijst' below for sources. 

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